初めまして。「渦中の花」記者担当の辻本直樹と申します。
耳慣れない肩書きではありますが、今回の公演に関するエピソードや、そこに携わる人々をより深く知っていただくために、様々な角度から話を聞いていきたいと思います。4月までよろしくお願いいたします。
第1回となる記事では、「そもそもroom42はどんな団体なのか?」という疑問を解消すべく、野村亮太・松本一歩の両名にインタビューを行いました。
——早速ですが、このroom42という企画名の由来から教えていただけますか。
野村亮太(以下、野村):roomは(演劇をやる)空間って意味で…これね、最初は6人いたんですよ。それで、お互い7年後に集まろうって約束があったから、6かける7で42にしたんです。
——なるほど!
松本一歩(以下、松本):1人出られなくなったので、厳密には35なんですけどね。
野村:でも、その1人の分も含めて共に7年間を戦う企画ということで、数字は変えないでそのままにしています。
——この企画を立ち上げる直接的なきっかけは、このお2人ということになるんでしょうか?
野村:主宰は一応僕なんですけど。もう1人、辻井彰太というのがおりまして。ちょうど別のお芝居で彼と共演していた時期に、「そういえばちょうど7年だな」と思って、そのタイミングで声をかけて決めました。
——とにもかくにも、「7年」がキーワードになるんですね。
野村:メンバー同士が初めて出会ったのが7年前、自分が21歳の時で。だから今28歳なんですけど、さらに7年後、30中盤になったときに役者としてもう一回勝負できる状態でいたいなって思いもあったので、「これまでとこれからの7年間」みたいな意味合いです。
●きっかけは文学座のワークショップから
——では、源流にさかのぼって、7年前のことから聞いていきたいと思います。
野村:わかりました。「そう、あれは7年前…」
——そんな語り口でいくんですか?
野村:当時、文学座のサマーワークショップというのがありまして、そこで出会ったんですね。1週間くらいあって、トータルで20人くらい集まったワークショップなんですけど。僕もちょうどお芝居をやろうと思ったタイミングで、どこかで学びたいなと思っていたので、大阪から参加して。で、(松本)一歩も早稲田大学に在学中で受けに来ていて。
松本:大学3年とかかな? 僕は僕で、早稲田では劇団に入り損ねていたんですよ。
野村:あ、そうなんだ。
松本:劇研(早稲田大学演劇研究会)に入ろうとしてたんですけど、気がついたら新人募集の期間を過ぎてしまって、入りそびれたんです。それで、大学でお芝居を勉強はしてるけど実践したことがないなと思って、探してるうちに文学座のワークショップを見つけました。ちょうど時期的にも夏休みだし、行ってみようかなと。
野村:なんか、でも本当に初日からよく飲んでたよね。特別な事情がない人は来るような状態で、いつも10人くらい集まって毎日飲んでって感じでした。
松本:集まった人の年齢も結構まちまちでした。
野村:そうそう、今回集まったのは結構年が近い人同士ですけど、実際は僕らより10とか20歳上の人なんかもいたりして。
松本:大林素子さんのお母さんがいらっしゃいましたね。
野村:ああ、オーちゃんね。
——オーちゃんって呼んでたんですか?
野村:いや、自分で言ってたんですよ「オーちゃんって呼んでください」って。
松本:でも確かに、初対面の割にはすぐ仲良くなって、それこそ7年越しに公演の約束するくらい妙な一体感はあった気がします。
野村:気が合った…のかな? なんだろうね? 不思議な感じでした。
2011年、文学座サマーワークショップ。左から順に、松本一歩、丸山雄也、野村亮太。
●第一印象は「金髪」と「開脚」
——お互いの第一印象はどうでしたか?
野村:こいつ(松本)金髪だったんですよ。なんかオラついてるのが来たなと思って最初すごく怖かったんです。しゃべったら全然いいヤツだったんですが、見た目の第一印象は最悪でしたね。
——話してみるまでは怖かった?
野村:だって、初めて参加するワークショップで、しかも初めての東京で、行ったらいきなり金髪がいるんですよ? 警戒するでしょ。
——松本さんから野村さんへの印象は、どうですか?
松本:ええと、開脚してましたね稽古場で。開脚してたのを覚えてます。
——開脚って、ストレッチの?
松本:そうですそうです。
野村:第一印象そこなの? ストレッチくらいするでしょ。
松本:背が高いのに身体が柔らかいなと思って。
野村:僕、そもそもは劇団四季の「ライオンキング」を小さいころに見たのがお芝居の入り口なんですよ。大学に入ってから「劇団四季に入りたいな」と思って、1年間めちゃめちゃダンスをやってたんです。ある時、たまたま知り合いの知り合いみたいな感じで劇団四季の方とお話する機会があったんですね。そこで「1年間同じ役をやり続けられるか?」って聞かれて、「ちょっと無理かもな」ってなっちゃって。「劇団四季でやるには、そういう覚悟も必要。色んなジャンルの作品に出演したいのであれば、もしかしたら劇団四季は合わないかもね」って言われたんです。じゃあ、歌とダンスと芝居、自分はどれが好きなんだろうと改めて考えた結果、こうして芝居を選んだんです。
松本:…っていうのの名残が、開脚だったと。
——その1週間のワークショップがきっかけで「7年後に集まろう」という話になった?
野村:その時はもうちょっと、なんとなく「この人たちは芝居続けてるだろうな」と思った人に割と手広く声かけてたんですけど。続け方もいろいろで、演出助手とか制作で続けてる人もいるし、自分が把握していないだけで他にも続けてる人はいると思います。
松本:亮太くんは大阪でその後もずっと演劇を続けていて。何年かして、東京に公演で来るみたいなこともあったので、サンシャイン劇場に出てるのとかを「おー、やってるなあ」って見に行ったりしてました。
——一方で松本さんはそのまま文学座の研究所へ。
松本:そのまま入ったわけじゃないんです。ワークショップに参加したあと、1年は普通に学生をやってました。卒論書いたり、アルバイトしたり…。結局、在学中は演劇をやれないまま、大学を卒業した年の4月に研究生として文学座に入りました。そこで3年間勉強して、自分でも団体(平泳ぎ本店)を立ち上げたり、ほかにも時間堂の制作お手伝いとか、色々やりながら今に至るって感じですね。
——たしかに、いろんな事をやっている人って印象があります。
野村:正直、あんまり一歩に役者ってイメージは強くなくて、漠然と「演出の人」ってイメージが…演出も別にやってないはずなんですけど。当時から、この人は役者より演出をやりたいんじゃないのかなと思ってました。でも本人に聞いたら、別にそういうことでもないよって。何年か経って自分で団体を立ち上げたって聞いたから、ああやっぱりそうなのかと思ってたら演出じゃないし(笑)。
松本:旗揚げ公演では演出も出演もせず、ドラマトゥルクをやっていました。第2回からは自分でも出演しています。
2018年、平泳ぎ本店「ボーク」出演時の松本一歩。(撮影:北原美喜男)
松本:平泳ぎ本店のスタートが2015年で、亮太くんは次の年に東京へ出てきたんだっけ。
野村:2016年3月の、牡丹茶房の「縋り雨」のときです。
松本:その公演を僕は見に行けなかったんですよ。ただ、引っ越してくるよって話は聞いていて、その前後に会ったりはしてますね。
野村:だから公演があったり、オーディションとかで東京へ出てくるときなんかは、けっこう連絡取ってましたね。比較的薄いつながりではあるけど、ずっと縁は続いていました。
——そういえば、他のメンバーも関西圏の人が結構います。
野村:5人のうち3人が関西出身ですね。僕以外の2人も、活動のメインは東京ですけど舞台出演やなんやで今は大阪にいて、稽古が始まる頃にこちらへ移ってきます。
——7年前に出会ってはいるけれど、共演するのはこれが初ってことですよね。
野村:僕と辻井とか、一歩と雄也(丸山雄也)とか、個別に共演はありますけど5人揃って同じ作品に出るのは初めてです。
松本:僕だって7年の間で、まさか丸山が自分の団体に入ってくるなんて思いもしませんから。
●それぞれが7年で身につけたもの
——7年間、別々の環境で演劇をやってきたことになると思うんですが、その期間を隔ててお互いの印象で変わったところはありますか。
野村:うーん…髪の色は変わったかな。
松本:比較的早めに変わったけどね。なぜだか大学生の頃は「絶対黒髪になんかするものか!」と思ってましたけど、卒業したらすぐ戻しました。
野村:あっけなく。
松本:社会に出たら、ちゃんと黒くなってました(笑)。
野村:昔のほうがもっと(性格は)明るかったと思いますね。最近あまり喋ってくれなくなった。
松本:そんなことないよ。
——「役者としての松本一歩」についてはどうでしょう。
野村:当時から、持ってくるアイデアが面白いなとは思っていましたね。彼が舞台上で言う一言がすごく好きなんです。(文学座の)卒業公演の頃から、なにげなくポロッと出てくる一言が面白いということの、精度が上がっていて。動きの一個一個が洗練されてきて、そこに至るまでの居方であったり、その音がそこで出せるんだっていう驚きだったり。それは7年前にはなかったものなんで、全体のスペックが上がってるなと。一緒にやるのがすごく楽しみな人になってるし、刺激を受けますね。
松本:亮太くんの印象…何しろ大きいですよね身長が。
野村:一緒くらいだよ。
松本:あと、この人ね、尋常じゃないんですよ出演本数が。人づてにもいろいろ話を聞きますけど、木村祐一さんとか、すごい人たちと共演している。かと思えばすごく小さな劇場でもやっているし、幅の広い活動をしている。しかも僕と同い年ですからね。「同い年でこんなに出られるんだ」というのが印象として強いです。
野村:数えてみたら2016年に7本、2017年に8本で、2018年は7月までの段階で8本っていう…順調にペースが上がってます。
松本:あとは普通に立ち姿がかっこいい。大きい舞台で人数たくさん出ててもすぐ見つけられますね。
2018年、牡丹茶房「床這う君へ」出演時の野村亮太。(撮影:黒太剛亮)
——脚本・演出には牡丹茶房の烏丸棗さんを迎えますが、烏丸さんを選んだ理由について聞かせてください。
野村:自分が本格的に上京してきて、最初に出たお芝居が牡丹茶房だった…というのも理由のひとつですが、企画を立ち上げる時点で王子(花まる学習会王子小劇場)でやろうというのは決めていたので、そこで公演を打った経験がある人だからというのも含めてですね。
松本:僕は(烏丸さんの)演出を受けるのは初めてですが、野村くんが何度も出演して信頼する作家さんということですから、そこは単純に楽しみです。
野村:5人という少人数から始めた企画で、そこに客演の方があと4人加わるわけですが、その人数でやるとなった時に、各々の物語をきちんと掘り下げて最後まで描いてくれる人がいいなと思ったんです。もちろん単純に演出家として好きというのもありますけどね。自分の団体以外でやっている烏丸さんを見てみたい。劇団だけでやってると、主宰としての立場に追われちゃう部分もあると思うんですけど、そういうのを抜きにした時にどんなものが出てくるのか…と興味があります。
——まだ先の話になってしまいますが、公演の後はroom42をどうしていきたいですか。
野村:可能であれば、1回きりの企画ではなくて継続していきたいですね。
松本:僕たち共演したわけじゃないんですよ、ただワークショップで一緒になったというだけで。しかも1週間会っただけの人たちが、7年経って公演を打つって。たとえば今から7年後に会おうって言っても、お互い何やってるか分からないじゃないですか。共演したわけでもないのに、そこだけを拠り所にして…若さゆえに集まれたというか、企画の成り立ち自体が面白いし。そこに集約されるでしょうね。
野村:7年前はみんな東京に来る確約なんてなかったし、本当に芝居を続けている保証もなかったですから。
——そう考えると、結構な賭けですよね。
野村:どっちかというと戒めに近いものだったんですよ。結果的に続けられたのはよかったなと思います。実際に何度か「お芝居もう辞めようかな」と思った時期もあったんですが、そういうときも一歩と会う機会があると約束を思い出したりだとか、常に頭の片隅にはあったんだと思います。
松本:人と人との縁だとか出会いによって、それぞれの演劇活動が続けられている。それを大事にしなさいよっていう戒めでもありますね。
第2回は、今作の脚本/演出家の烏丸棗(牡丹茶房)のインタビューを予定しております。
作品について、創作のルーツ等語っていただきました。
公開予定日は3/31。こちらもよろしくお願いいたします。
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