「朗読劇」
無事終演しました。 ご来場ありがとうございました。
急遽決めた公演でしたが、本当にやってよかったなと思っています。 公演全体の振り返り+役者としての野村の振り返りになります。 前半は、公演全体の振り返り→ちょっと固めの話+柔らかめの話。 後半は、役者としての振り返り→柔らかめの話 という構成です。
今後の運営の方針とかもやんわり書いてます。
長いですが、もしよければ読んでいただけると嬉しいですし、一緒に色んな事を考えてもらえると嬉しいです。 個人の団体なので、他者の意見がとにかく欲しく、自分の考えをブラッシュアップしたいと思っています。よろしくお願いします。
それでは、まず、公演全体の振り返りから。 【公演全体の振り返り・・・固めの話】
今回、予約ペースが非常に悪く、これは本当にマズイと覚悟して小屋入りしましたが、動員の40%近くが小屋入りしてから入り、口コミの力を思い知った公演でした。
たくさんある公演の中で、見る作品を「選ぶ」という行為は、自分個人だけでなく、他人がどう思っているのか、という要素も必須だと思ってます。
その意味で、今回の「口コミ割」は成功だったと思っています。
口コミを見て、観劇を決めた方がたくさんいらっしゃり、半分以上の回で立ち見が出る大盛況で公演を終えることが出来ました。
口コミ割・・・受付時、SNS等で感想をつぶやくと「口約束」していただければ、その場で100円割引
お客さんに口コミを誘導する方法として、 ・口コミ割の適用→「口約束」ではあるが、感想を書くという行為をイメージさせる。
・アンケートの廃止→媒体を限定
・まとめない→表示頻度を減らさない
この三点を今回重要視しました。
結果として、口コミ割の適用率は61%
口コミ数/口コミ割の率が、61%
(2019/6/24)段階
という結果になりました。 総動員の、約34%が口コミをしてくれた計算になります。
個人的な偏見でもありますが,
総動員の10%を切る数の口コミしかない公演は、あまり面白くないんだな、と判断して、観劇の優先順位を下げています。
公演規模が大きければ大きいほど、たくさんの口コミが出る可能性が上がるので、この「率」を大切にしています。 今回の約34%という結果には満足しています。 3人に1人が口コミを書いてくださり、今回でしたら、各回平均9.6件の口コミ。 SNSをやっていない層もいらっしゃるので、40%~45%前後が最高に良い公演の口コミ率かなと考えているためです。 【想定】 作品を否定的に見ている・・・10% 作品を好意的に見ている・・・90%
(作品を好意的に見ているの内訳) SNSをやっていない・・・30%
SNSをやってるけど感想とかは呟かない、忘れてる・・・15%
SNSで呟くことに抵抗がない・・・45%
つまり、作品を好意的に見ていて、SNSで呟くことに抵抗がない層は全体の45%ほどと想定していて、+作品に対して否定的な意見もってる方のうち、SNSに書く層は、全体の5%ほどと想定しています。 この好意的、否定的な層の割合については、作品の質そのものによりますが、
・最高に良い作品だとこの割合ぐらいではないか、という自分の勝手な推測
・自分自身が、人付き合いの内、10%くらいの人に嫌われていると想定 という考えのもと、公演前に算出した率になります。 内訳も、どこかからかデータを取ってきたわけはなく、感覚的な数字です。 そもそも作品の種類や、質、客席の年代、関係者の率やらで、正確な数字を出す事自体に、意味を感じていないのと、そもそも不可能だと思っているので、 あくまで、
「自分の団体における自分の感覚による割合算出」 でしかないことは言っておきます。 【口コミ割の適用】
→100円引きという、ラインがキモかなと思いました。 例えば200円だと大きい気がしますが、100円だと手軽に適応できるし、同時に強制感も出ない感覚があります。 以前、やまだのむらの二人芝居「ギラギラBOXと東京」では、200円引きで試しましたが、その際の適応率は51%。客層が違うので、単純な比較はできませんが、100円引きの方が適応率が10%上がるのは面白いな、と思いました。
今後も100円引きで適応していきたいと思う。 【アンケートの廃止】 僕はアンケートを読むのがとても好きです。 色々な考え、解釈を聞けるのは単純に面白いです。
素敵な言葉もたくさんあります。 ただ、いつも思っていたんですが、それを自分たちだけで共有するのって、ちょっともったいないんだよな、と思ってました。 幸い今の時代、SNSがすごく発展していて、利用者も結構多いので、感想をたくさん共有できます。
共有する利点として、
「観劇前」 →作品を選択する理由になる。 ちょっと難しいんですが、作ってる製作者側は、もちろん今作ってるものは最高だ!と思っているわけなんで、宣伝のコメントはある程度限定されてたり、なんだか似たり寄ったりになることが多いと思います。 でも、観客の視点から、その作品をどう思ったのか、良いならなぜ良いと思ったのか。悪いなら、なぜ悪いと思ったのか(それは改善されるものなのか)、ネタバレを隠した結果、妙に気になる書き方になってたりする。 また、自分が好きな人が作品を絶賛してたりすると、この人がそこまで言うなら!という、その作品を選択する理由になる。
「観劇後」
→作品を振り返ったり、自分の中にあるなんかそう思った!っていう感覚を言語化してくれてる人がいると、そうそう!それが言いたかったんだ!と、自分の感覚を説明できるようになったり、他の人が同じ感覚だったりすると、単純に嬉しくなる。
という簡単に言えば二種類のメリットがあるなと思っています。 この両方が、紙のアンケートだと利用することができません。 つまり、この感想の共有が積極的に行われる公演であれば、
・口コミが増え、観劇の選択肢としての優先順位が上がる。 ・観劇後も作品を味わえる。 というメリットにより、たくさんの人に作品を見ていただけ、色々な感性を吸収できる、というとても良い効果があると考えています。 SNS疲れという言葉も出てきましたが、まだまだSNSは力を持っていますし、僕は積極的に活用できる仕組みを考え続けていきたいと思います。
【まとめない】
SNSで呟く感想で重要なのは、見やすさよりも、異なる視点で情報に触れる頻度、回数だと思っています。つまりTLで流れる頻度が上がり、その公演の情報がTLにいい具合にあふれていると、嫌でもその公演のことを考えると思います。
まとめを作ってしまい、それを見れば大丈夫!みたいにすると、「ふーん、なるほど」で終わってしまうことが結構あります。
それよりも、一つ一つに対して対応してみたり、リツイート等で共有していくことが重要かな、と思います。
まとめを見たい人もいると思いますが、まとめないことで、結局そのまとめを探すことになり、そうこうしているうちに感想を見てる状態になるのは、良いことだと思っています。
以上を踏まえ、今後もこの口コミ割の適用は継続していきたいと思っています。 あとは、room42のアカウントのフォロワーを増やしていき、公演情報に触れやすい人を獲得していくことが、次回公演までにできることかな、と思っています。
【公演全体の振り返り・・・柔らかめの話】 今回、当日パンフの自分の挨拶がとても好評でした。
この団体の意義をどこに置くか、自分がなぜ演劇をするか、を記載したものでしたが、しっかり読んでいただけて、共感いただけたり、楽しんでいただけるのは本当に嬉しいです。 そもそも、なぜこの公演を急に企画したのか、というところですが、 これは自分の家族の存在が大きいです。 僕も今年で30歳。両親は定年間近、祖父母は頻繁に入退院を繰り返しています。
幸運にも、僕の近しい方は存命です。まだ(自分の記憶が残ってる限りでは)葬式にも出た事がないです。
人が亡くなるってことが、分かってるようで分かってないのかもなあ、と思いながら生きてます。
父が腰を痛めて、足に痺れが残ったり、祖父が血尿が出て入院したり、それを見て祖母が泣いたり。
老いるということ、それでも生きている、ということを見る事が増えて、人が生きる上での幸せについて考えることが増えました。
直接は言えない事なんですが、身体が若い時のように使えなくなっていき、それでも毎日生きている祖父母を見て、僕はなんだかとても美しいな、と思いました。
当本人がどうとかでなく、あくまで外から見た僕の感想でしかないし、楽しいことも嫌なことも自分と同じようにあるはずだと思うし、
なんなら不自由を感じる事が増えて自分より大変なのかもしれませんが、僕はそう感じました。
過去を懐かしみ、今を懸命に生き、未来に思いを馳せる。
それ自体は、若くても年を重ねても変わらない人間の本質的なところかもしれませんが、
年を重ねた祖父母を見て、「人は遅かれ早かれ死ぬ」という事を受け入れていて、むしろ自分よりも「今」を懸命に生きているのではと思ったからなんだと思います。
僕はそんな祖父母を見て元気をもらいましたし、もっと頑張ろうと思いました。
そんなことを考えた時に、この「朗読劇」の事を思い出しました。
自分が考えた事と似たようなテーマがこの作品に含まれているなと。
身体が悪い祖父母は、長距離の移動ができないため、この作品を生で観ることはないと思います。
でも、そういう「想い」を作品として世に出せることはとても幸せだと思います。
そんなこんなで、今の自分にこの「朗読劇」が必要なんだと思い、上演を決めました。
【役者としての振り返り】 この野村田という役は、とにかく難易度が高い。 今作は約80分という上演時間の中、ほぼ出ずっぱり。加えて、自分にも他人にも嘘をつき続ける。同時に、もしかしたら自分も既に「彼ら」のようになっているかもしれない、という不安を抱えながら生きている。 内面で起こってる事がとてもとても多い。
後半は本当に嵐のように、自己肯定と自己否定を繰り返していました。
しかし、いったい初演の時どうしていたんだろう、と不安になるほど、最初はラストシーンに至るまでアプローチが分からなかった。 結局それを解決したのは、「考えるな、感じろ」という、よくありふれたフレーズだったように感じる。
稽古序盤は、ひたすらに役の内面的な心情を考え、中盤から徹底的に相手役に意識を向けていった。それが正解だった。 自己を自己として存在させるのは、絶対的に他者なんだと思う。 外側があって、初めて内側に何かが芽生える。
当たり前のことだけど、実感として改めてその感覚を掴めたのが最大の収穫だったと思う。 ラストのセリフも、実は元々台本になかったセリフでした。 打ち合わせの段階で、世莉さんからしっかりドラマにしたい、という演出プランの相談があったためです。 実際に喋るセリフとしては、役である僕に丸投げだったわけですが、色々と試した後、ある時の稽古の時、ふと出たのがあの言葉でした。 自分で作るのでなく、出来れば、國吉さんの書いたセリフを使いたいと思っていたので、そのセリフを言ったあと、「これだ!」という確信が生まれました。
結果として、島林山の設定と合間って、しっかりとしたドラマになったと思います。 あと、今回谷野に触れるというアクションが非常に深い意味を持つので、作中で極力触れないようにしていました。一箇所だけ、触れた方が諸々都合がいい箇所があったので、触れていますが。 また、普段から役者の榎並にもほとんど触れないようにしたり、 僕はよく1ST目と、千秋楽だけ皆と握手をしてからスタンバイするんですが、今回はそれもしなかったです。 結果として、人に触れるというアクトにとても意味を感じられましたし、作中谷野から触れられた時、その手が離れた時、ものすごく色々なものが身体に流れていきました。
あの感覚は大切にしたいな、と思います。
すごくいい役だと思いましたし、自分はまだまだ上手くなれると実感した公演でした。
これから年を重ね、絶対に今の自分ではなくなると思う。
その時の自分をしっかりと乗せられるよう、役者としてしっかりと成長していきたいと思います。
振り返りとしては以上になります。
作品がたくさんの方に愛されたことは誇りですし、見た人に色々な感情が生まれたというのは本当に嬉しいことです。
これが僕のやりたい演劇です。
2年以内に再演したいと思う。 諸々の事情でキャストが変わったりがあるのかもしれないが、出来るだけ今回のメンバーでもう一度この作品と向き合ってみたいと思う。
その際は、ロングランや、大阪公演など、今回出来なかったことを盛り込んで、もっともっとたくさんの人に見ていただけるよう運営していきたいと思う。 演劇をしていてよかった。 そう感じられる公演でした。
全ての関係者、全てのお客様のおかげです。 ありがとうございました。 僕の人生が続いていくように、皆さんの人生も続いていきます。 この作品がみなさんにとって何かしら意味のあるものになってくれていればとても幸せです。 今後とも、room42を、野村亮太をよろしくお願いします。
最後に、当パンのコメントを貼り付けておきます。
もしよろしければ。
それでは。
2019年6月25日
room42
野村亮太
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